日本のビールのはじまり
日本におけるビールの歴史は当時の文献から、江戸時代の徳川吉宗の頃に「麦の酒」という言葉が残っています。
実際のところ、ビールが日本に入ってきたのは幕末の英米との接触が始まった頃で、イギリスのエールが最初だと言われています。
初めて日本でビールを醸造したのは、幕末に活躍した蘭学者、川本幸民と言われ、著書「化学新書」のなかに、上面発効、下面発酵に関する記述が登場しています。
Beerの呼び名
日本人が初めて書いた170年以上前の英語の辞書には、Beerの発音を「ベール」と仮名をつけました。これは当時の英語をまずオランダ語に翻訳したからでした。オランダ語ではeが2つ並ぶと「エー」と発音するからです。
また、オランダ語でBeerは「Bier」と書くことから、日本ではこの発音を「ビイル」と表記したことから、現在の「ビール」となったということです。「ビール」はオランダ語が語源なんですね。
日本で最初に飲まれたイギリスのエールビールの面影
1859年に横浜が開港すると来日した西洋人によって母国から取り寄せた嗜好品の中にエールがあったことが知られています。
この当時輸入されていた醸造会社名の1つが赤い△印のマーク(商標)のバス・カンパニーです。これは英国でも最も古い商標で、字の読めない港の荷役人でも見間違えることのないように考案されたと言われています。
イギリス王室でも好まれて飲まれる伝統のエールです。今でもバス・ペールエールは日本で飲むことができます。
国産ビール製造のはじまり
明治の初めに国産ビールの醸造が始まりました。最初の醸造所が横浜に設立されたのが「スプリング・バーレー・ブリュワリー」が製造したドイツ人好みのババリアン・ビールです。別名「横浜ビール」と宣伝されていました。
この会社が倒産すると、1888年にこの工場跡地に誕生したのが「ジャパン・ブリュワリー・カンパニー」で、のちの麒麟(キリン)ビールです。
麒麟ビールの発売に遅れること1年10ヶ月、東京に設立された日本麦酒醸造会社は「恵比寿ビール」を発売。
大阪の大阪麦酒株式会社は「アサヒビール」を発売しました。
北海道開拓使の官営事業として引き継いだ札幌麦酒株式会社は同じドイツビール「札幌ビール」を発売しました。
いずれの会社も設備や技術ともにドイツから輸入し、ラガービールを作りました。
まさに今の時代にまで継続されるビール会社の誕生がこの時代に相次いで起こり、今の3社(キリン、アサヒ、サッポロ)の基盤ができあがっていたんですね。
ちなみにサントリーは、1899年に鳥井商店として創業しましたが、本格的に「サントリービール」を発売したのは1963年でした。
和製ビールと舶来ビール
明治時代、国産ビールは「和製ビール」、外国製のビールは「舶来ビール」と呼ばれました。
舶来ビールの大半が英国産のビールで、中でも上述したバス・カンパニーのバス・エールが人気でした。
これに対し、ドイツ領事館が売り込みに熱心だったのがドイツビールです。たんぱくで苦みが少ないドイツビールは、濃くして苦みのあるイギリスビールよりも日本人には親しみやすかったのか、舶来ビールの主流はエールビールからラガービールになっていきました。
日本でビールが本当の意味で大衆化したのは戦後でした。1980年(昭和55年)では、日本で生産された酒類のうち、実に67%をビールが占めていました。
これまで前述した通り、日本におけるビールの大衆化は、横浜の開港によるビール輸入開始から約100年かかった計算になります。
現在の国産ビールシェアは、アサヒ、キリン、サントリー、サッポロの4社で市場の約9割を占めています。
まとめ
- 日本にビールが入ってきたのは、江戸時代のイギリスとの交易から - エールが最初だった
- 「ビール」はオランダ語が語源
- 最初に飲まれた舶来ビールの面影 - バス・ペールエール
- 日本のビール醸造の黎明期は明治時代 キリン、アサヒ、エビス、サッポロ いずれもラガータイプ
Beerの歴史について興味を持っていただければ嬉しいです。
コメント